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辺境 [text]

  辺境  [草稿]
   The Night With The Borderers  [in draft/unfinished]
    written by Still Water, 2010
    all rights reserved





1.

 目を閉じて。
 思いを凝らせ。
 数えよ。
 みっつまで数えて目を開けば、きっと何もかも元に戻ってるはず。
 ひとつ、ふたつ……。




——彼女の目に飛び込んでくるものは、立ち込める噴煙。濛々たる鈍色の量塊。

 視界はその隅々まで、騒乱に満たされている。
 巻き起こる旋風が、彼女のもとに煤けた臭いを運んでくる。埃に鼻孔と口喉をくすぐられると、彼女はたちまち咽せかえり、ざらついた触感を体の外に排出しようと躍起になる。
 だがそんなことをしている場合ではない。本能が激しく警戒を喚起している。
 眼前で揺らいでいるくすんだ煙があたかもやわらかな毛布であるかのように、ゆっくりとその上へ降り立つものがある。そこかしこで、次から次へと。人をたやすく丸飲みにできるような大きさのそれらは、複雑に入り組んだ甲殻でびっしりと覆われている。獣とも虫とも異なる印象をもたらすのは、その甲皮が濁りない透明であることだ。透き通る装甲を通したその内部には内臓などは一切なく、ただすさまじい速度で何かの流体が巡っているのが見えるだけ。……血、なのだろうか? だがその色は深紅ではなく、磨き上げられた鋼の色合いをしている。透明な血管を走り、分岐し、合流を繰り返して、時折泡立ちながら。まるで内部でまったく別の生物が活動しているかのようだ。高速で蠢く銀色の流体を内部に宿しながらも、表皮は完璧なまでに静謐であり、肢を動かすことすらせず、煙の上にふわりと着地する。総数は十数匹といったところだろうか。彼女はそれらに似た姿のものをいままで見たことはない。およそ既知の生物のいかなるものにも類似しない種なのだ。けれども彼女は、それらが何であるかは知っている。
 魔の眷族、アズウュール。
 古代語で“跨ぐもの”と呼ばれる存在。
 それらが跨いでいるのは、この世とあの世の境界、理性と狂気の境界、そして正常と異常の境界だ。
 彼女が自分のもっとも近くにいる個体を見ていると、その甲殻に亀裂が生まれ、何か口のような裂け目が三つ、開かれる。それぞれに鋭い牙を宿して。目や鼻らしき器官は見当たらない。甲高い悲鳴にも似た咆吼がほとばしり、それに呼応して他の個体もまた口腔を開き、叫び出す。空気中を雷光が駆ける。その響きは景色そのものを粉々に砕いていく。かつては彼女の郷里であったものを。
 彼女はぼんやりと考える。
 わたしはいま、怖いと感じるべきなのだろうか?
 しかし彼女に恐怖はなかった。あるはずがない。恐怖は、先を予測することから生まれる。激痛をもたらされるかもしれない、回復不能の損傷を被るかもしれない、死ぬかもしれない…… そういった見込みこそが、恐怖の源泉なのだ。だが、今の彼女には、先を見通すことがまったくできなかった。目の前を蹂躙する奇怪な存在たちが次にどのような行動を取るのかは、完全に不明だった。彼らの本質は、混沌。その生は、合理的な志向には基づいていない。あるものは自身が触れるすべてをひたすら喰らい続けており、またあるものは人間のつくった物を神経質なまでに避けて動きまわっていた。何匹かは、編隊を組んで飛び立ち、しかしすぐに離散して好き勝手に着地している。彼らの飛跡は空中を波紋のごとく歪ませて、陽光を反射する油脂のように多彩な光を投げかける。
 彼らの目的がただ単に明確な破壊や補食であるというのであれば、彼女はわかりやすくおののき震えていたことだろう。けれども、いかなる秩序や意図も見出し得ないようなその光景からは、恐怖が導き出されることはなかった。
 代わりに彼女が向かっているのは、おそらくは狂気という境地。警戒すべきは死や痛みに対してではなく、ただ自分の理性が失われることに対してだった。彼女は、次の瞬間にも自分が大声で笑い始めるような予感にとらわれる。実際、口元はゆるく引きつり、溜息ともつかぬ枯れた笑い声がかすかに漏れ出た。一方、両目からは涙が一粒ずつ滲み出る。
 彼女は剣を握りしめる。いまや理性を保証するのは、右手に握られる魔剣の確かな感触だけ。
 しかし彼女は、この剣も根源においては、目の前を埋め尽くす異形たちと同じ水準に属するものだということを自覚していた。

 彼女の名はティルト。剣の名はジュナ。
 すべての原因は剣にあり、そしてティルト自身にあった。




 
 

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雨露の綾 [text]

 




  雨露の綾
   Raindrop Chromatics
    written by Still Water, 2009
    all rights reserved





1.

 村はずれの塔に魔女が住みついたらしい、という噂が広がった速さは、ごくごく密やかで、ゆっくりとしたものだった。打ち捨てられた塔は百年も昔からそこにあったと言われる代物で、かつては山賊が根城にしていたこともあると伝えられていたが、しかしそれにしては少し小さすぎるような建物だった。魔女の噂が広まった今になって見れば、なるほど、それはむしろ魔女の住処にこそふさわしい、と思える大きさでもあり、いずれ誰かが、そこはもともとは山賊などではなく魔女が住んでいた塔なのだ、と言い出しかねなくもあった。
 誰かが住みついた、という話を触れまわり出したのは、農作業帰りの女たちがどうも最初のようで、草原の向こうにそびえる廃墟の煙突からかすかに煙が立ち上っていること、夕暮れにわずかな明かりが漏れて見えたこと、そして窓越しに若い女性の姿がちらついた、ということを突き合わせてそのような憶測になったようだった。
 滅多に人もよらない場所ではあったが、かろうじてその近くに行く機会がある女たちは、やがて、塔のまわりでいくつかの不可思議な出来事が起こることに気が付いた。
 いわく、今の季節に咲くはずのない花が塔の近くにだけなぜか咲いているとか、森の獣たちが妙にまわりをうろついているとか、先日の豪雨の日にも塔は少しも濡れた様子が見えなかった、とか……。だから住みついたのは魔女に違いない、いや、そもそもあの塔は魔女が建てたもので、きっと昔の住人が戻ってきたんだよ、などと、噂は確証も得られないままに大きくなるばかりだった。
 その噂が村全体に浸透すると、次に興味を持ったのは村の若い男たちだった。彼らは魔女云々はあまり信じず、余所から若い女性らしき誰かがやって来た、ということにもっぱらの興味を示した。女たちの噂を耳ざとく聞きつけた者が、ひとりまたふたりと抜け駆けて塔の様子を伺いに行ったようであったが、しかし彼らが見たのは若い娘ではなく、といって恐ろしげな魔女でもなく、つまらぬことに単に気むずかしげな老婆だった、という報告がそこかしこで囁かれた。
 そのうちのひとりは落胆もせずにただ好奇心で話しかけてみたようだが、その老婆は見たとおり愛想の欠片もなく、たいしておもしろくもない退屈な会話を少しばかり交わしたあげく、いろいろと言いくるめられて、いつのまにやら半日を掃除や水汲みなどの家事労働にこき使われてしまっていた——お茶の一杯も振るわれることなく。もっともそれは男たちの間に冗談交じりで伝わった話で、すくなからず尾鰭もついていたのかもしれないが。
 それにしても、住んでいるのが老婆だとして、彼女がどのように生計を立てているのかはよくわからなくもあったが、そのうち村にもやってきて、村人となにがしかのやり取りがあるだろう、そうすればその正体もわかる。さしあたってはそんなに危険な人物でもなさそうだし、しばらくほっておくか——と、そう村人たちは結論付けたのだった。

 そのように噂が一段落すると、やがて大人たちの会話を聞きつけた子どもたちが興味を持ち、村から一日がかりで往復するような距離にある塔なんて子どもだけで行ってはいけないと言われているにもかかわらず、何人かでこっそり繰り出して塔を見に行く者が現れた。
 まずは年長の子どもたちが連れだって塔の魔女を確かめに行ったのだが、どうも子どもには耐えかねるほどの剣幕で追い払われたらしく、しばらくは魔女の話を一切しないありさまだった。
 すると次にはその少し下の男の子たちが、年上の子たちの古傷を抉って情報を聞き出すと、恐れることなく村はずれへ出かけて行った。彼らの年頃ではなかなかの遠征に他ならなかったが、本物の魔女かもしれないと言われれば、村でじっとしている方が無理な話だった。しかし怖いもの知らずの幼い襲撃者たちには魔女も手強く感じたのか、塔は扉から小窓に至るまですべて締め切られ、謎めいた住人は顔を現さなかった。子どもたちは少なからぬ時間を塔のまわりではしゃいで過ごし、何一つ心躍ることが起こらなくても飽きもせず、下手したら魔女のことなどすっかり忘れて、単に普段来ないような場所で遊んでいることに興奮しているかのようだった。すると、魔女の我慢もついに尽きて子どもの相手をすることに決めたのか、それともただの偶然なのかはわからないが、塔を臨む草原の端、森の際から一頭のそれは見事な毛並みの真っ白な鹿が現れた。子どもたちは歓声を上げると鹿を追いかけ始めた。鹿は一駆けで森へ逃げ帰ることもなく、絶妙な間合いを取って子どもたちと追いかけっこをしつつ、次第に彼らを塔から引き離し、村の方角へと誘っていった。
 子どもたちの叫び声が遠ざかり、ふたたび塔に静寂が訪れた。
 ところが、塔のそばにはまだひとり子どもが残っていた。それは年端も行かぬ少女で、鹿を追っていった男の子たちよりもさらに幼く、自分と同じ年頃の子は他にはいなかったので彼らの後にがんばってついてきて塔までやって来たのだが、白い鹿よりも魔女への好奇心の方が強く、他の子どもたちが去ったあとにも扉の前を動かずじっと立ちつくしていたのだった。
 と、そのとき、訪問客を固く拒んでいた扉が開いて暖かそうな室内を晒したと思うと、中の人影が手招きし、女の子はたったひとりで塔の内側へと迎え入れられた。


 

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